[0715-201503] モノを淫するにはそれなりの人としての器が必要なことを、37の誕生日に20代を振り返りながら書いてみる。

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今日は誕生日です。万歳。37歳になりました。日付が変わるとともに妻の顔見て無言でシグナルを送ったんですが、全く気付かれず、ようやく「おめでとう」って言ってくれたかと思ったら背中向けて寝られちゃいました。でも結婚から8年弱、今も大変仲良しです。ありがとう。

37歳の今日も特に大きな変化があるわけではありませんが、先程からモノとの付き合い方について改めて考えていまして。前回の書籍保管サービスの話もそのきっかけだったかもしれませんが。

妻と結婚したのは29歳と11ヶ月の時でした。私のアホな20代の最後に滑りこむように結婚したのですが、その翌月30になり、環境も大きく変わりました。大分苦労もかけていると思います。私の30代って妻と二人で歩んだ7年間なんですね。苦労ばかりかけて、どうしようもない夫です。

ただ、20代と大きく変わったのは、モノに対する向き合い方。仕事の環境も変わりましたし、その後311など価値観を揺さぶる出来事もありました。

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今回は先日も話題に出しました、島地勝彦さんの著作を一部ご紹介しながら、37と若造ながら、ちょっと今までのモノとの付き合い方を振り返りながら、モノについて書いてみたいと思います。

虎の威を借りるかのようにちょっと説教臭く上から目線で語りますが、誕生日なので大目に見てください。

モノって拗ねるんです。

革のバッグは絶えず使っていないと、どんなに高級な品物でもすぐ拗ねて固くなり色褪せてくる。何だか現実の女に似ているではないか。女と違うところは決して文句を言わないところであり、出合ったときには大金がかかるが、あとはまったく金がかからないところである。

島地勝彦さんを崇拝する方々にとっては、この本も含め島地さんが伝えたいことはそういうことではない、と言われるかもしれません。ただ、これはある意味島地さんは流石に本質を捉えられていると思うのです。

島地さんは、モノを好きになるのではなく、淫するという表現を使われます。

この淫する、という言葉がまさに重要で、本質を捉えていると思うのですね。モノを使う、持つって結構大変です。モノ自体にパワーがありますから。いい加減な気持ちではとてもじゃないですが付き合えません。高いものには高いだけの理由があります。

それを一つ一つしっかり自分の血肉に替えるには、単にお金さえ出せば済む問題じゃありません。それが幾ら高いものを身につけていても何となく見ていて様になっていない人の一番の理由はそれだと思います。買えるからといって、それを持つに値する人間であるかどうかは別。

それは高望みをしてはダメだということではなく、高望みをするのであれば、淫するくらいでなければダメだと思うのです。

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淫するにはそれだけパワーが要ります。

島地さんは別のところで「モノを買うときには値札を見てはダメだ」と言われていますが、幾らであろうと、淫することとは関係ありません。

そして、この淫するという行為にはパワーが要ります。それが人によって淫することの出来る量、数というのはある程度決まっていると思うのです。それは年とともに、経験とともに変わるとは思いますが、とりあえずその時点でのその人の器の大きさのようなものがある。

島地さんは勿論かなりのモノを欲しいと思った瞬間に買われていますが、それは世の中の全てのジャンルに渡っている訳ではない。実際車や腕時計に関しては、好きな人からしてみればそれ程数自体は多くはありません。

その代わり、ひとまず手元に来たものに関しては淫しています。モノって拗ねるんですよ。それをパワーが落ちる、と言い換えても良いかもしれません。元気がなくなるんです。構ってあげないと。意識してあげないと。それは日常品でも同じです。

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あれだけ気に入って買ったものなのに、大事に保管して使わずにいると、ある時取り出してみて「あれっ?こんなのだっけ?」となる。魅力を感じられなくなること、ありませんか?それを飽きる、という人も、成長する、という人もいるでしょうが、拗ねるが分かりやすい。

それを、私の中では、自分のモノに対する器の大きさだと思っています。それぞれのモノに対する。その大きさ以上のものを持ってしまうと、途端に息苦しくなるし、そのどれもに意識を向けられなくなる。その数が幾つかは靴であったり、鞄であったり、時計であったり、で違ってきます。